欅坂46を愛したわたしへ

欅坂46は、わたしの青春だった。

ありがちな表現! だけど、デビュー前から改名まで、彼女たちの5年間をすっかり見届けてしまった今、やっぱりその思いしかない。

見届けた者の責任として、ではなく、間違いなくわたしの人生の一部であることの記憶と記録。

【きっかけ】

欅って書けない? の初回をたまたま観たから。

これはもうNMBのスター姫さがし太郎初回放送から追っていることしかり、橋本環奈のアイドル時代をリアルタイムで追っていることしかり、アイドルに対する嗅覚が異常、としか言えなくて、追わねばならぬって本能で反応した。ありがとう本能。

そういえば最初、鳥居坂46って名前だったなあ。

デビュー前に欅坂46に改名発表されての1stシングル「サイレントマジョリティー」はのちに異例のロングヒットを飛ばすことになる作品だけど、発売当時もまた、いわゆるふつうのアイドルに向けられる注目とは違った目を向けられていた。笑わない、というイメージではなく、アイドルがこんな強気な歌詞を歌うなんて!かっこいい!という、ポジティブな変化として受け止められていたように記憶している。

わたしはセンターの平手より、その左隣で小柄ながら大きく踊る鈴本美愉が目に留まった。地下アイドルからスクールアイドル、ハロプロから海外アイドル、「かわいいだけじゃダメなんですか!?」(夢アド)から「可愛いだけじゃ物足りない、大人の遊び場へようこそ」(predia)まで、広く浅く網羅しているわたしの、数多い推しメンのうちのひとり。前髪が長い女の子は大体好きになるんだけど彼女もやはりそうで、初期の欅坂では唯一のワンレン黒髪ロングで、その前髪をピシッと斜めに留めたところから据えた眼光に一気に引き込まれた。

サイマジョのカップリングで一番好きなのは「キミガイナイ」。歌詞の切なさもさることながらメロディーが独特で、初めて聴いた時から今でも好きな曲。ライブでゆっかーが涙した姿の美しさもこの曲の記憶にリンクして、いつまでも鮮やかな曲。

2ndシングル「世界には愛しかない」の挑戦はポエトリーリーディング。演劇ファンからすればくすぐったい気分になる、ぎこちないセリフ読みはご愛嬌。

サイマジョから一転して爽やかなアイドルソングで、軍服風の衣裳の時はわかりにくかった平手のスタイルの良さが際立つ白のシンプルな制服衣裳、わたしは意外とすきだった。

この曲のカップリング「語るなら未来を……」のMVで、初めて平手の表現力の高さに気づいた。呼吸の表現が秀逸。いま観ても新鮮に驚ける、すごい才能。

その後のシングル発売、アルバム発売、ライブ、ポップアップストア、カフェ、紅白出場、メンバーの脱退、改名と活動休止まで、あまりに近くで見すぎて、どのあたりから社会的な注目度が高まっていったのか、アイドルファン以外にはどう映っていたのか、俯瞰で客観的にはまったく見れていない。おこがましいけど、5年間ずっと渦中にいた、という感覚が強い。

好きになったアイドルは数多くあれど、シングルアルバム問わず全形態、特典付きで予約注文し、発売日を心待ちにし、雑誌で特集が組まれるとなると本屋に駆け込むほど入れ込んだのは欅が初めてだった。

【思い入れ】

なんて言うとほぼ全曲に個人的なエピソードがあるけど、「サイレントマジョリティー」と「制服と太陽」は普通に就職しようとしていたところを演劇界に残してくれたし、「エキセントリック」は引っ越しの準備をしている間中狂ったように聞いていた。「二人セゾン」は大学のパソコンルームで初めて観ちゃってうっかり泣いてしまったし、「月曜日の朝スカートを切られた」がテレビで初披露されたときは飛べるんじゃないかレベルで鳥肌立った。

でもいちばん大きいのは、大学時代の卒業公演の演出がうまくいかなくて悩んでたときに、an・anの欅坂特集で、根本宗子が

「欅坂のパフォーマンスは芝居を見ているよう」

って評価しているのを読んで、ああなんだ、まだわたしの演劇観死んでないねんな、って救われたこと。

欅坂46と劇団性】

根本宗子もそうだし、中村勘三郎はじめ、演劇界に身を置いている人(そして体感、演出的視点を持っている人が多い気がする)を欅坂にのめりこませていた魅力のひとつはその演劇性だと思う。わたしもそう。

もちろんそれぞれ個人もとても魅力的だけど、パフォーマンスがあまりに演劇的。

アイドルは自分が目立ってなんぼだから基本的には楽曲のイメージのことはあまり考えずニコニコ笑って、カメラで抜かれたらウインクして、っていうのがほとんど。

だけど欅は、なりふり構わず、楽曲のイメージを全員で共有して、表現に昇華する。それこそ1本芝居を観たあとのような、重厚な余韻。「黒い羊」なんか、初めて観たあとしばらく再生出来なかった。他にも「エキセントリック」や「月曜日の朝スカートを切られた」、「I’m out」、「Student Dance」あたりはほぼ映画。

MV、ライブ問わず、「届けよう」としてくれる、その姿勢にまず胸を打たれる。そしてクオリティに度肝を抜かれる。

欅には「わたしが目立ちたい」っていう子が少数派だったからこそ(いなかったわけではないことはもちろん知ってる)、パフォーマンス重視のブランドが確立したんだと思う。

【アングラ】

AKBの「制服が邪魔をする」「軽蔑していた愛情」、乃木坂の「制服のマネキン」etc、グループの代表曲である華やかな王道アイドルソングよりどこかアングラ感のある暗めの曲のほうがすきなわたしが、そういう曲に強い欅坂にハマったのは自然の成り行きとして、そういう「明るい以外の曲」は欅坂以前にももちろん存在していたのに、欅坂登場以後は、社会に反抗する曲、ひいては「かっこいい曲」「ダンスパフォーマンスに特化した曲」を発表するだけで(NMB48の「欲望者」やラストアイドルの「青春トレイン」、イコラブの「手遅れcaution」etc)、欅の真似だといわれるの、パフォーマンスに対する正当な評価になっていなくて、欅にも他グルにも失礼だよな~って思ってたな。

【推しの卒業】

発表された日の日記。

「欅というアイドルから知った鈴本美愉平手友梨奈という人間が本当に好きだった。

これ以上ハマれるアイドルいるかなって、喪失感でかい。

肉体は時が連れてってくれることはわかってるけど、魂は2016~2020年の5年を彷徨い続けるんじゃないかしらとすら思う」

ほーーーんとに、この2人が、2人の関係性が好きだった。

感覚で踊る恵まれた体躯のセンター、それを支える確かな技術の持ち主にして唯一無二の相棒。お互いがお互いによってより魅力が増して輝いてた、強かった。

【改名】

スクランブル交差点でゲリラ発表された新名称。

忘れもしない、誕生日の前日、25歳最後の日。

いいよそういうの、なんでちょっと劇的にしてくれちゃうかな。

改めて、5年ってあまりに短いな。と思う反面、人生の5分の1の歳月を彼女たちを追いかけることに費やしたんだなと考えると、えらく入れ込んでしまったなと思う。後悔はない。

名前を変えてまで在り続けてくれるのって(運営の邪な思惑は抜きにして考えるけど)、戻ってきてくれるはずのあの人を待ち続けたいからだし、その場所を守るためだし、それは結局自分のためだし。影がちらつくファンに心配をかけないためのやさしさなんだろうし、強くありたい理想のためなんだろうし。

大人数のグループでやっていくには、そして群雄割拠のアイドル戦国時代を生き抜くには、彼女たちはあまりにふつうの少女で、ふつうの少女では持ちえないほどきれいなものをたくさん持っていて、純粋で、そしてあまりに優しすぎた。

好きだったなあ。ほんとうに好きだった。

ベリもキュートも、レディべも生うどんももういない。スマは改名したけど、オリメンはもうひとりもいない。

でも欅は名前を変えて、そこに在ってくれている。

初期のインタビューでメンバーが話していたように(初期からみんながみんな欅のこと好きすぎて共依存みたになってたの、ほんとうに推しがいがあった)、いっそのことみんなでいっせーので辞めてくれたほうがよかった、とこの期に及んでまだ弱いことを考える自分に辟易する。

でも、しがらみにもまれながら(歴史の中でそれぞれの考え方にもきっと変化が出て)、それでも続けてくれることに、劇団名を変えてまで演劇を続けている自分自身に重ねてしまう。場所を守ること。

中合わせなんだよな、どこまでも。

【ドキュメンタリー鑑賞(1回目)】

9月5日にドキュメンタリー映画を観た。

感想、現存するもっとも美しく残酷な走馬灯。

あんなに観に行くのが怖かった映画は初めてだった。

ほんのちょっと楽しみな気持ちはあったけど、本当に、ほんとうに怖かった。

ほんとはもっとあとに観に行く予定だったんだけど、なにかに突き動かされるように予約して、これだけのために街に出て。

最初のライブシーンから涙。

みいちゃんのセゾンソロダンスのアドリブで涙。

「この場にいる全員に、お客さんに嫌われてもいいから、欅を守るためにやった」

って、アイドルに言わせるセリフじゃないよ。

そんな優しくて強いみいちゃんが9thで選抜落ちしたときの虹花の言葉も印象的。

「わたしは落ちて当然、だけど他の子は違うでしょう、あの子もこの子も欅に必要でしょう?って、怒りが沸いた」

自分よりまず周り。そう、そういう子たちなんだよな。だから好き。

檻の中のパフォーマンスのときの鈴本美愉の顔が、目が、あまりに美しすぎて、現世のものとは思えないほどで、ああなんて子を推していたんだ、と思ってしまった。

彼女といえば、黒い羊のMV撮影終わりに倒れ込んだ平手をメンバー全員が取り囲む中、ひとり1歩下がって状況を静観している姿が印象的だった。ゾッとした。あんなに冷たい映像、知らない。

なにを考えていたのだろう。その目になにが映っていた?

(彼女は負けず嫌いだった。でもこれはただのわたしの憶測。)

結局、みんながみんな、違う形の優しさを持ったがゆえのカオスだったんだな、という結論。

誰もがメンバーを、そして欅坂を守るために優しい選択をした結果、とてつもなく美しく残酷な歴史になった。

ハンドタオルがぐしゃぐしゃになるほど泣いた。整体で汗かいても1ミリもヨレないアイラインとマスカラがベチャベチャに落ちた。

もっと大きいタオル持ってくればよかった、って、脳みその後ろのほうでやけに冷静に考えている自分がいた。

感染症対策でひとつとばした隣の席のお姉さんもずっと泣いてた。広い映画館で、定員の半分の座席がしっかり埋まっている中で、私たちふたりだけが嗚咽が出るほど泣きじゃくっていた。過呼吸になるかと思った。

わたしはひとりじゃなかった。

残酷なファン。

私たちは飽食だから、刺激的なあなたたちの姿をずっと求めていたんだと知って、まるで鏡に醜い自分の姿を映された錯覚に陥って、懺悔したい気持ちになった。

それでも求めて、本当にごめんなさい。

【ドキュメンタリー鑑賞(2回目)】

9月13日、早々に2回目の鑑賞。

落ち着くまで誰の声も聞きたくない、自分の感想がまとまらない、ってのが感想。

いまさら冷静に、当たり前にひとり残らず顔がいいことに気がついてちょっと笑ってしまった。

そしてやっぱりフェンスパフォーマンスの鈴本美愉、抜群。

サイマジョの横1列並びでほとんどのメンバーがセンターの平手側に体を斜にして立っている中、ただひとりだけ正面切って仁王立ちしてる美愉ちゃんを見て、ああ、この人を好きになってよかったと思った。

代理センターのときも、黒い羊でひとりだけ立ち尽くしてるときも、(主人公の隣は報われない。)なんて。

【業】

残酷であることを、それらが複雑に絡み合えば絡み合う状況ほど美しいと思ってしまうから、アイドルというコンテンツからは逃れられないんだろうなと嘆息する。

絶望じゃん、輝いているところを観たいだけなのに。

実家の母の部屋の棚に、いまも一番手の届きやすい位置にずらっと並んでいる松田聖子チェッカーズ郷ひろみのレコードを見て、こりゃ血だな、一生だめなんだろうな~と思う。

アイドルホリック沼の底。

もう追いかけない希望の星。

観れない聴けないと思いながら櫻坂の歌もてちの歌も聴いてるし、美愉ちゃんのインスタもフォローしてる。

でも購入はしてないし雑誌も番組もまったく追ってない。

てちのダンスもグループのソロの時ほど入り込んで観れない。1回再生しただけ。

どっか上の空。

いまのわたしの人生に必要じゃないパーツだからなんだなってわかって、それがめちゃくちゃ寂しくて、でもどうしようもない。

彼女たちはもうずいぶん前から次の坂を登り始めていて、その差は日ごとに広がる。

でも、「置いていかないで」とも、諦念とも違う。

美しい季節だった。額装できない、できないからこそなおさら尊い季節。

またどこかで交わらないか、少しの未練を捨てきれないまま、命あらばまた他日。

(欅坂を好きでいた気持ち、おつかれさま、わたし。)f:id:laugh_off_C:20201230181100j:plain